「可能性の実感」は、今も変わらず、私の中で育ち続けている。こうしてハイブリッドカーの可能性を信じているからこそ、その実用化から十年余を経た現状(「日本の」と特定する必要がある)には、多くの危惧を感じざるをえない。それは、まず技術そのものとその進化について、であり、またそれを「商品」として送り出す側も、それを受け入れ、考え、使いこなすべき側も、あまりに浅い理解と発想で、安易なイメージ論に終始していることについて、である。
(参考サイト)
グーネットのハイブリッドカー中古車検索
goo-net.com/used/hybrid/hybrid.html
そのそれぞれの状況が、あまりにあからさまに見えてしまう。そしてそこに社会として、企業として、また技術を生んで送り出す側、それを受け取って使う側、両サイドの人々にとって、多くの危うさが現出している。それが非常に残念なのだ。その「浅さ」「危うさ」については、おおよそ理解していただけたのではないかと思う。